久しぶりにブログを更新します。

 

生い立ちの話でも軽くしてみようかと思います。

 

 

生まれたのは茨城の酷い田舎でした。

自分より田舎から出てきた人をわたしはまだ知りません。

それくらい酷い田舎でした。

 

幼少期は一日中共働きの両親に代わって祖母がわたしの面倒を見てくれていました。

今思うとあの頃、両親はお金に大変困っていたと思います。

私はそのため誰もが幼少期に味わうはずの母の愛を知りません。

仕事を辞めた母が常に側にいた妹とは違って。

赤ちゃん時代を、すっぽりと飛ばしたまま、私は「おねえちゃん」になりました。

 

 

小さなことから大きなことまで

お金を理由に諦めてきた私の

唯1つの大きな財産は

仲睦まじい両親の姿であるように思えます。

子供目で見てもお世辞抜きの仲の良い夫婦です。

 

 

 

その代わりに、心身ともに病んでいく人間の姿をそれこそ就学前から嫌という程に見てきたと思います。

私はお葬式にたくさん参列したことはありますが、結婚式に参列したことは一度もありません。

両親はどちらも介護士で、お年寄りから若い人まで様々な理由から介護が必要になった人々の手助けをする尊い職に就いています。

そのため、肉親も他人も、変わっていくどちらもわたしは見て育っています。

 

 

それが理由なのかはよくわからないけれど

簡単に病気のことを口にする人を

心の中で非常に見下してしまう癖ができました。

 

 

徐々に病んでいく姿、優しかった人が壊れて豹変していく姿、元気だった人が衰弱していく姿

 

 

この様子を見ていく感覚というのは、漠然とした不安となって大人になった今もわたしの心に深く根付いていると思うのです。

 

 

 

一番は、やはり父の姿でした。

優しい父は、職を辞めてから日に日にリビングの座椅子から動かなくなり、話すこともなく朝から晩までそこに座り、ただ一点を見つめては、ぼうっとしている置物のような人間に変わり果てました。

 

 

時々暴れて物を壊すことはありましたが、家族に手をあげることは絶対にしませんでしたし、強迫観念からおかしな行動を取るようになっても、その根本にあるものは私たちを守ろうという気持ちでした。(例えば、家が燃えるのを防ぐために家中の延長コードを全て捨てる。)

 

 

今では随分と元気になって、働いて、ご飯も食べるし、よく話すし、よく笑います。

 

 

人が壊れていく様は、何者にも変えがたいほど恐ろしいものです。

 

日常にあったありふれた喜びが突然なくなることもそれはとても恐ろしいことです。

 

しかし、少しずつ失っていくことには、徐々に、縛り上げられていくかのように、息ができなくなっていくような恐怖があります。

 

それは多分この先の人生においても根本的な恐怖として私の中に残るのではないかなと思います。だから自分から簡単に人間関係を切ってしまうし、逆にとても執着することもあります。

 

 

わたしの本当の将来の夢は、普通の健康な旦那さんと健康な子供と健康なお互いの両親がいて、お盆とかお正月にはたまに親戚で集まったり、旅行に行ったり、そんな他の人から見たら普通なことなのかもしれません。

 

 

よく笑うことはそれだけで何よりもしあわせなことだと思います。